「国労」というのは、「国鉄労働組合」の略です。
今のJRになる前の国有鉄道時代から続いている労働組合です。
旧国鉄が、全国の線路を分割したうえで、民営化されました。
その時に、「大量の職員首切りが行なわれる」という不安に対して、当時の中曽根康弘首相が「一人も路頭に迷わせない」と断言しました。
しかし、結局、国労や旧全動労などに加入していた職員など1047人は、国鉄からJRに切り替わる際、JRに採用されず、国鉄清算事業団というところに入りました。
入っていた労働組合によって、差別されたのです。
その後、国鉄清算事業団もなくなり、採用差別された人たちは、物品販売などをしながら、「JRは、労働組合による採用差別を取り消して、雇用すべき」とたたかい続けたのです。
国労のたたかいは、終わりました。
解決のためのお金が支払われたものの、再び雇用されることはありませんでした。
たたかってきた国労のみなさんは、大変複雑な思いをしながらの、定期大会になりました。
私は、「雇用問題は解決されませんでしたが、みなさんが国家的不当労働行為と24年間もたたかい続けたことは、日本の労働組合の歴史に燦然と輝くものです」と、ご挨拶を申し上げました。
不当なことに、黙って従うことはできない。
国労や旧全動労(現在は建交労)のみなさんのように、
「Noと言うべき時には、断固Noと言える」私は、そういう生き方をしていきます。
旧国鉄が、全国の線路を分割したうえで、民営化されました。
その時に、「大量の職員首切りが行なわれる」という不安に対して、当時の中曽根康弘首相が「一人も路頭に迷わせない」と断言しました。
しかし、結局、国労や旧全動労などに加入していた職員など1047人は、国鉄からJRに切り替わる際、JRに採用されず、国鉄清算事業団というところに入りました。
入っていた労働組合によって、差別されたのです。
その後、国鉄清算事業団もなくなり、採用差別された人たちは、物品販売などをしながら、「JRは、労働組合による採用差別を取り消して、雇用すべき」とたたかい続けたのです。
国労のたたかいは、終わりました。
解決のためのお金が支払われたものの、再び雇用されることはありませんでした。
たたかってきた国労のみなさんは、大変複雑な思いをしながらの、定期大会になりました。
私は、「雇用問題は解決されませんでしたが、みなさんが国家的不当労働行為と24年間もたたかい続けたことは、日本の労働組合の歴史に燦然と輝くものです」と、ご挨拶を申し上げました。
不当なことに、黙って従うことはできない。
国労や旧全動労(現在は建交労)のみなさんのように、
「Noと言うべき時には、断固Noと言える」私は、そういう生き方をしていきます。
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