日本共産党北海道議会議員 宮川潤のブログ。FMさっぽろ村ラジオにも出演中!
あなた方日本共産党は中国共産党とも交流があるはず、今こそ、政府主導ではなく、日本共産党が、尖閣問題の先頭に立ち中国と日本政府との架け橋になるべきでは?
匿名さん、コメントありがとうございます。尖閣諸島に関する基本的な考え方は、リンクを開いて、ごらんいただけたものと思います。日本国政府として、中国に対し、領土問題をあいまいにしない態度が大事だと思います。また、日本共産党と中国共産党との関係についても、関心をお持ちなのでしょうか。手短な、文書がありました。2005年、不破哲三議長(当時)の講演の一部です。(前略)中国との関係で言いますと、日本共産党自身が、深刻な経験をしてきました。 私たちは、一九六〇年代後半から七〇年代にかけての中国の「文化大革命」の時代に、中国の毛沢東を中心とする勢力から、あらゆる手段を動員しての無法きわまる干渉と集中攻撃を受けました。もちろん、わが党は断固としてこれに反撃をし、干渉を打ち破りましたが、この時期にも私たちは、日本の政治のなかで、中国にたいする過去の侵略戦争の誤りを解明し、日本が負っているその責任を厳しく指摘することをやめませんでした。先ほど紹介した、田中首相などにたいする私の一連の追及も、まさにその干渉の最中におこなわれたものでした。 この干渉によって中国共産党との関係は、中国の側から断たれ、その中断の状態が三十二年間続きました。これは、いわば、二つの党の間の“歴史問題”でした。小渕外相主催の歓迎夕食会後の席で、胡錦濤副主席と握手をする不破哲三委員長(当時)=98年4月22日 98年訪中のさいに中国側から贈られた「とっておきの1枚」 一九九八年、いまから七年前に、中国の党指導部が、過去の干渉の誤りについての「真剣な総括と是正」の態度を明らかにしました。この指導部は、「文化大革命」にも、私たちにたいする干渉攻撃にも、直接は関係のない人たちでしたが、誠実に自分たちの党の過去の歴史を調べ直し、真剣な自己批判を展開したのです。そして、その上に立って、「道理と事実にもとづいてこの歴史問題を解決したい」という態度を表明しました。 こうして“歴史問題”が解決され、九八年六月、両党関係を正常化する合意が成立し、私も七月に三十二年ぶりの訪中をして、江沢民さん、胡錦濤さんという二人の指導者と会談しました。 その時、私がまず提起したのは、日本と中国の間に友好的な、そして連帯・平和の安定した関係を打ち立てることで、そのための「日中関係の五原則」の提唱でした。それは、次のようなものです。 一、日本は過去の侵略戦争について厳しく反省する。 二、日本は国際関係のなかで「一つの中国」の立場を堅持する。 三、日本と中国は、互いに侵さず、平和共存の関係を守りぬく。 四、日本と中国は、どんな問題も平和的な話し合いによって解決する。 五、日本と中国は、アジアと世界の平和のために協力しあう。 このうちの三項、四項、五項は、どこの国との関係にも当てはまる平和・友好の一般的な原則です。しかし、私たちは、歴史的な過去に照らして、日本と中国との関係では、最初の二つの原則を日本がきちんと守ってこそ、平和・友好の関係が大きく発展できると考えて、このことを提案したのです。 二番目の、「一つの中国」の原則の問題も、日本は、一八九五年に中国から台湾を取り上げた国です。そして、五十年間の植民地支配の後に、一九四五年、敗戦の年にこれを中国に返還した国です。そういう歴史をもった国として、「一つの中国」の立場を守るべき責任をいちばん重く負っている国であることを考えて、私どもは、この提案をおこないました。(後略)
コメントを投稿
2 件のコメント:
あなた方日本共産党は中国共産党とも交流があるはず、
今こそ、政府主導ではなく、日本共産党が、尖閣問題の先頭に立ち中国と日本政府との架け橋になるべきでは?
匿名さん、コメントありがとうございます。
尖閣諸島に関する基本的な考え方は、リンクを開いて、ごらんいただけたものと思います。
日本国政府として、中国に対し、領土問題をあいまいにしない態度が大事だと思います。
また、日本共産党と中国共産党との関係についても、関心をお持ちなのでしょうか。
手短な、文書がありました。
2005年、不破哲三議長(当時)の講演の一部です。
(前略)
中国との関係で言いますと、日本共産党自身が、深刻な経験をしてきました。
私たちは、一九六〇年代後半から七〇年代にかけての中国の「文化大革命」の時代に、中国の毛沢東を中心とする勢力から、あらゆる手段を動員しての無法きわまる干渉と集中攻撃を受けました。もちろん、わが党は断固としてこれに反撃をし、干渉を打ち破りましたが、この時期にも私たちは、日本の政治のなかで、中国にたいする過去の侵略戦争の誤りを解明し、日本が負っているその責任を厳しく指摘することをやめませんでした。先ほど紹介した、田中首相などにたいする私の一連の追及も、まさにその干渉の最中におこなわれたものでした。
この干渉によって中国共産党との関係は、中国の側から断たれ、その中断の状態が三十二年間続きました。これは、いわば、二つの党の間の“歴史問題”でした。
小渕外相主催の歓迎夕食会後の席で、胡錦濤副主席と握手をする不破哲三委員長(当時)=98年4月22日 98年訪中のさいに中国側から贈られた「とっておきの1枚」
一九九八年、いまから七年前に、中国の党指導部が、過去の干渉の誤りについての「真剣な総括と是正」の態度を明らかにしました。この指導部は、「文化大革命」にも、私たちにたいする干渉攻撃にも、直接は関係のない人たちでしたが、誠実に自分たちの党の過去の歴史を調べ直し、真剣な自己批判を展開したのです。そして、その上に立って、「道理と事実にもとづいてこの歴史問題を解決したい」という態度を表明しました。
こうして“歴史問題”が解決され、九八年六月、両党関係を正常化する合意が成立し、私も七月に三十二年ぶりの訪中をして、江沢民さん、胡錦濤さんという二人の指導者と会談しました。
その時、私がまず提起したのは、日本と中国の間に友好的な、そして連帯・平和の安定した関係を打ち立てることで、そのための「日中関係の五原則」の提唱でした。それは、次のようなものです。
一、日本は過去の侵略戦争について厳しく反省する。
二、日本は国際関係のなかで「一つの中国」の立場を堅持する。
三、日本と中国は、互いに侵さず、平和共存の関係を守りぬく。
四、日本と中国は、どんな問題も平和的な話し合いによって解決する。
五、日本と中国は、アジアと世界の平和のために協力しあう。
このうちの三項、四項、五項は、どこの国との関係にも当てはまる平和・友好の一般的な原則です。しかし、私たちは、歴史的な過去に照らして、日本と中国との関係では、最初の二つの原則を日本がきちんと守ってこそ、平和・友好の関係が大きく発展できると考えて、このことを提案したのです。
二番目の、「一つの中国」の原則の問題も、日本は、一八九五年に中国から台湾を取り上げた国です。そして、五十年間の植民地支配の後に、一九四五年、敗戦の年にこれを中国に返還した国です。そういう歴史をもった国として、「一つの中国」の立場を守るべき責任をいちばん重く負っている国であることを考えて、私どもは、この提案をおこないました。
(後略)
コメントを投稿