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2018年8月24日金曜日

三船遭難の碑

 8月22日、「平和・民主・革新の日本をめざす札幌東区の会(東区革新懇)」主催の、道北の日本海側の小平町(おびらちょう)、留萌市、増毛町など通称オロロンラインを巡る日帰りバスツアーに参加しました。
 小平町では、「三船遭難慰霊の碑」を訪ねました。


 1945年8月22日、サハリン(樺太)からの女性・子ども中心の引揚者を乗せた船三隻が、留萌沖でソ連の潜水艦による攻撃を受け、1708名以上が亡くなっているのです。
 8月15日の敗戦後に、戦闘員でない人を対象にしたソ連の攻撃に憤りを感じ、非道な戦争を繰り返してはならないと強く思いました。

 碑文には「昭和20年8月15日 太平洋戦争終る 終戦後7日 昭和20年8月22日 早晩の海は波穏やかにして 微風甲板を渡る この日泰東丸 第二新興丸 小笠原丸の三船は戦乱の樺太(サハリン)より緊急引揚の老幼婦女子乗組員 5,082名を乗せ鬼鹿沖にかかりしが突如旧ソ連軍の潜水艦による雷砲撃に遭い瞬時にして沈没あるいは大破し、 1,708名の尊き命を奪わる 留別の地樺太を脱し数刻夢に描きし故山を目睫にしてこの惨禍に遭う 悲惨の極みなり 星霜ここに30年我等同胞慟哭の海に向かい霊鎮まらんことを祈りつつこの碑を建つ 昭和50年8月22日 樺太引揚三船遭難慰霊碑建立合同委員会」と刻まれています。

 また、ニシン漁で栄えた往時をしのばせる旧花田家番屋や国稀酒造の酒蔵も見学しました。

 お土産は、白いゴーヤとUFOズッキーニ、パプリカ。国稀酒造では酒ではなく酒蔵ようかんです。


 

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