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2013年8月12日月曜日

長崎平和祈念式典での長崎市長の平和宣言

 8月9日、長崎市主催の平和記念式典が行なわれ、田上富久市長が平和宣言を行ないました。
 その一部を、以下に掲載します。


 68年前の今日、このまちの上空にアメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。
 熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、直後から起こった火災は一昼夜続きました。
 人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、24万人の市民のうち15万人が傷つき、そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。
 生き残った被爆者は、68年たった今もなお、放射線による白血病やがん発病への不安、そして深い心の傷を抱え続けています。
 このむごい兵器をつくったのは人間です。広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。

 核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。
 人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。
 だからこそ忘れてはならない過去の誓いを、立ち返るべき原点を、折にふれ確かめなければなりません。

 日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。 
 今年4月、ジュネーブで開催された核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された核兵器の非人道性を訴える共同声明に、80か国が賛同しました。

 南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
 しかし、日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。

 人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、という文言が受け入れられないとすれば、核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を日本政府は示したことになります。
 これは二度と、世界の誰にも被爆の経験をさせないという、被爆国としての原点に反します。
(中略)
 核兵器のない世界の実現を、国のリーダーだけにまかせるのではなく、市民社会を構成する私たち一人ひとりにもできることがあります。
 「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」という日本国憲法前文には、平和を希求するという日本国民の固い決意がこめられています。

 かつて戦争が多くの人の命を奪い、心と体を深く傷つけた事実を、戦争がもたらした数々のむごい光景を、決して忘れない、決して繰り返さない、という平和希求の原点を忘れないためには、戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが不可欠です。
 若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。 
 あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。68年前、原子雲の下で何があったのか。

 なぜ被爆者は未来のために身を削りながら核兵器廃絶を訴え続けるのか。
 被爆者の声に耳を傾けてみてください。
 そして、あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に核兵器が存在していいのか。考えてみてください。
 互いに話し合ってみてください。
 あなたたちこそが未来なのです。
(中略) 

 東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、放射能の被害は拡大しています。

 多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。
 長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。

(中略)

 被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。
 高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市と協力して核兵器のない世界の実現に努力し続けることをここに宣言します。
2013年(平成25年)8月9日
長崎市長 田上 富久

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